新月の夜に

僕たちは海にいた。

現在時刻は二十二時。

どうしてこんな所に来たかというと、美月が突然海に行きたいと言い出したからだった。

正直な話、こんなことしてる場合じゃないというのは分かっていた。

やるべきこと、優先すべきことが他にある。

……だけど、美月の並々ならぬ雰囲気を感じ、何も言うことが出来なかった。

 

「海来たの、久し振りだね」

「ついこないだ三人で行ったばっかりじゃん」

「……そうだったね。あの時、紅葉ちゃんが溺れかけて大変だったんだよね。助けようと思ったけど、結局私も巻き込まれちゃってさ」

「突然どうしたの……?」

「いや、何でもないよ」

「……あのさ、美月」

「大丈夫!……ちゃんと、分かってるから」

「美月さん、無理して話さなくても大丈夫ですからね……?」

「ありがとう。でも話すよ。いや、話さなくちゃいけないことなの」

「その前に、一つ聞いてもいい?」

「いいよ。なに?」

「秋月さんの家で話したことって、本当なの?」

「全部本当の話だよ。あんな酷い嘘、私つけないよ」

「それって記憶を思い出したってこと?仮にそうだとしても、どうやってそのことを知ったの……?」

「……それを、今から話すんだよ」

「……ごめん。水を差すような感じになっちゃって」

「別にいいよ。むしろ二人のリアクションは正常だよ。突然でびっくりしたよね」

「びっくりしましたけど、美月さんが無事なら大丈夫です」

「……紅葉ちゃんさ、私のこと好きでしょ?」

「はい、好きですよ」

予想外の答えが返ってきたのか、美月は目を丸くしていた。

そんな美月とは対照的に、紺野さんは頬をうっすらと赤くしていた。

二人がこんな会話をしてるのを久しぶりに見た気がした。

実際には一日も経ってないのだが、今日あった出来事が衝撃的で、遠く昔の事のように感じていた。

「私も、紅葉ちゃんのこと好きだよ」

「……ありがとうございます」

自然と会話をする二人は、いつも通りだった。

ただ、そんな“いつも通り”をするためにこんな所に来たわけではないことは、三人とも分かっていた。

美月もそれを感じていたのか、前座はこれで終わり。とでも言うように、気を入れ直していた。

僕たちも真剣に話を聞こうとしていたのだが、彼女は突然その場に倒れてしまった。

「美月!?」

「美月さんっ!」

「“思ってたより早い”なぁ。あはは……」

まるでこうなることが分かってたかのように、美月はボソリと呟いた。

彼女はグッタリと横たわってしまった。

僕たちはすぐさま駆け寄った。

紺野さんは美月に膝枕をして、楽な体勢にさせた。

「やっぱり病院に行くべきだよ。早く帰ろう」

「待って!お願いだから……」

そう言って、美月は僕の服の裾をつまんだ。

……しかし、その力は非常に弱々しかった。

それに怖くなった僕は、反射的に立ち止まってしまった。

どうして美月はこんなに弱ってるんだ……?

小さかった不安はみるみると膨張していき、あっという間に僕の心を飲み込んでしまった。

「……美月さん。やっぱり、そうだったんですね」

「えっ……?」

紺野さんは何か知っているのか……?

「さすが、紅葉ちゃんだね。……きっと、今考えてることで合ってるよ」

美月がそう言った瞬間、紺野さんはボロボロと涙を流し始めてしまった。

「……そんなの嫌です!あんまりですよっ!」

二人だけが今の事情を把握してるようで、僕は一人仲間外れだった。

その事実が僕の恐怖心を更に煽り、それから逃げるように僕は質問してしまった。

「二人とも、何の話をしてるの……?」

僕がそう聞いても、二人は何も言わなかった。

そんな様子に、僕はつい気持ちを抑えられなくなった。

「答えてよっ!」

わけの分からない状態に混乱してしまい、半ば怒鳴った感じで問い詰めてしまった。

そんな僕の姿を見てられなかったのか、美月は静かにこう答えた。

「……私は、“篠原美月”じゃなかったんだよ」

「……何を、言ってるの?」

美月の言葉の意味が分からなかった。

僕は余計に混乱してしまった。

そして、紺野さんがそれを認めたくないと言った様子で言葉を付け加えてくれた。

「美月さんは“記憶喪失”だったんじゃなくて、“二重人格”だったんですよ……」

「紅葉ちゃん、大正解」

二重人格……?

何だよそれ、意味が分からないよ……

「……私は、あの事件で産まれたもう一人の“篠原美月”だったんだよ」

「……嘘だ。いつもみたいに調子のいいこと言ってるだけなんだよね……?」

「充君は、私のこと何だと思ってるの……?」

そう言って、彼女は弱々しく笑った。

その笑顔が、それが事実なんだと証明していた。

そこで、今まで感じていた違和感が全て解決してしまった。

何も覚えてないと言ったこと。

眼鏡をかけていたのにそれが好きじゃないと言って、コンタクトをつけてること。

記憶が蘇る気配が全く無かったこと。

秋月さんに見せてもらった写真と、今の美月の雰囲気がかけ離れていたこと。

美月を知ってる人々が、口を揃えて“変わった”と言っていたこと。

美月のお母さんが、過去に関するものを全て捨てていたこと。

……全部、美月が二重人格だからこそ感じていた違和感だった。

自分を取り戻したいって言ってたのにその結末がこんなだなんて……

……全部僕のせいだ。

もっと早くこの事実に気付いていれば。

情報収集を続けるなんて馬鹿なこと言わないで、さっさと帰っていれば。

美月がこんな残酷な仕打ちにあうことは無かったんだ。

「美月っ、ごめん。……僕が余計なことをしたせいで、こんなっ……」

気付けば、僕も紺野さんと一緒になって涙を流していた。

「……二人とも、泣かないでよ」

美月の手が、僕の涙を拭った。

自分のせいで酷い目に合ってしまった子に慰められるなんて、本当に情けなかった。

「……それに、二人は何も悪く、ないからね。これは、私が望んだことだから。……罪悪感感じる必要なんて無いんだよ……?」

「でもっーー」

美月は僕の言葉を無視して話し続けた。

「二人のおかげで、私はここまで来れたんだよ……?だから、もっと誇ってよ……」

美月は、ただただ優しく微笑んでいた。

でも、その笑顔は今にも消えてしまいそうで、最後の力を振り絞ってるように見えた。

「ねぇ、大丈夫だよね……?」

僕はハッキリと言葉にすることが出来ず、抽象的な言葉に逃げてしまった。

それでも意味は伝わったらしく、彼女は首を横に振った。

「……ごめんね。私にはもう時間がないみたい。こうして話せてるのも、本当は奇跡みたいなものだから……」

「秋月さんに『麗奈さんの分まで頑張って生きる』って言ってたじゃないかっ!」

「……そう、だったね。……でもそれは、果たせそうにないや……」

「美月さんっ!ダメです!いなくならないでっ……!」

「……紅葉ちゃんは泣き虫だね……でも、そんな所も私は好きだよ……?」

「私を一人にしないでくださいよっ……!」

「紅葉ちゃんは、一人じゃないよ……?充君がいるじゃない。……それに、“私”がいなくなっても、“本物の篠原美月”はいなくなるわけじゃないんだから……」

「そんなこと言わないでくださいっ!……私にとって、“本物の美月さん”はあなたしかいないんですよっ!?」

その言葉を受けて、美月は表情を変えた。

「……参ったなぁ。……嬉しくて、泣きそうかも。……泣かないって、決めてたのになぁ……」

「こんな時くらい、素直になってください」

そう言われると、美月はポロポロと涙をこぼし始めた。

「……私、自分がいなくなるの怖いよ……誰にも思い出されずに、忘れ去られちゃう、のかな……」

美月の本音が、初めて聞けた気がした。

思えば、彼女は記憶のことを隠しつつも“友達”や“人との繋がり”をずっと求めていた。

美月は本能的に自分がいつか消えることを察知していたのかも知れない。

彼女が消えることは、ただ死ぬよりも残酷だった。

肉体はそのままに元の人格だけが残る。

何も知らない人から見れば、“篠原美月は篠原美月のまま”に見えるだろう。

消えてしまった人格など、誰の記憶にも残らない。

そんなのはあんまりではないか……

人格ってなんだ?死ぬってどういうこと?

命が尽きれば死ぬのか?

美月の人格が消えることは、死ぬこととは違うのか?

僕は分からなくなっていた。

「でもね、私は後悔してないよ……だって、自分がずっと願ってたことを、叶えられたんだもん……」

美月は、涙を流しつつも笑っていた。

「ただ……心残りがあるとしたら。二人のことを私が忘れちゃうこと、かな……」

「美月……」

「……自分が消えることよりも……二人のことを忘れちゃうことの方が、怖いの……」

僕たちは何も言えなかった。

ただ見守ることしか出来なかった。

彼女は何かに気付いたように、突然こう言った。

「……今日は、月が見えないね……」

「えっ……?」

今日は新月の日だった。

普段はあれだけ明るいのに、この日だけはどこも照らしていなかった。

「……新月って、知らない人からしたら、月が無くなってるように、見えるんだってね……」

「こんな時に何を言い出すの?」

「……私は、この月と一緒ってことだよ……他のみんなが、私のこと知らなかったとしても……二人だけが、知っててくれれば、私は、そこにいるから……」

弱り果てていく姿を見て決心したのか、紺野さんは美月にこう言った。

「……美月さんのこと、絶対に忘れないですから」

「あり、がとう……私の、一番大切な友達……」

「私だって、そうです」

二人は笑い合っていた。

……僕はまだ、現実を受け入れることが出来なかった。

「……美月、いなくならないでよ……」

僕がそう言うと、美月は弱弱しくも豪快に笑った。

「……君、らしくないね……君は、ようやく、解放されるんだよ……?」

そう言って、彼女は僕の手を握ってきた。

「僕は、知らない内に二人と一緒にいることに居心地の良さを感じてた。……だけど、それを認めるのが怖かったんだ……」

「……じゃあ、勝負は、私の勝ち、だね……」

そう言われて、いつかの日にそんなことを話した事を思い出した。

それを思い出した瞬間、僕の想いは爆発した。

そして、気付けば再び謝っていた。

「美月っ……本当に、ごめんっ……!」

「……いいんだよ。……それに、私こそごめん。……君の過去を、知っていたのに。こんな辛い目に、合わせちゃって。……どうか、自分を責めないでね。……私は、君のおかげで救われたんだから……」

彼女は、もうほとんど聞こえない声で喋っていた。

握られている手の力が段々と弱くなっていく。

……もう、時間だった。

「……二人とも、今まで、本当にありがとう……できれば、私のこと覚えてて、くれると、嬉しい、な……」

そして、最期に美月はこう言った。

「……じゃあ、私は少し……眠らせて、もらう、ね……」

美月の手が、僕の手から静かに零れ落ちた。

その後、僕たちは人目を気にせず海で泣き叫び続けた。

気付けば、三人一緒になって眠ってしまっていた。

……そして、この日は皮肉にも美月の誕生日だった。

 

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