遠足から一ヶ月半ほど経ったが、あれからというもの、特に変化はなかった。
一つだけあるとすれば、美月と紺野さんがすごく仲良くなってるということくらいだった。
「二人とも、なんか距離近くない?」
「え?そうかな?」
「そんなことはないです。いつも通りですよね?美月さん」
「うん!」
「そう……」
いや、間違いなく距離感が近くなっている。
単純に仲良くなったと言うよりは、心の距離が近くなったような、そんな感覚。
これ以上踏み込むと、何だかいけないものを見てしまう気がするので、放っておくことにした。
「それよりテストだよー。期末テストの時期だよぉ……」
「美月さんは、あんまり勉強得意じゃなかったんでしたっけ?」
「うん。特に理系科目が壊滅的」
「それなら私が教えますよ。そうすれば赤点回避なんて余裕です!」
「さっすが〜!頼りになりますなー!」
美月って赤点ギリギリだったんだ……
「紺野さんはどうなの?」
「どう、と言いますと?」
「勉強とか得意なのかなーって。」
「得意かどうかは分かりませんが、人並みには出来ると思いますよ」
あれ、このセリフ聞き覚えがある気がする……
僕は頭の中の迷路を彷徨い、ようやく答えに辿り着いた。
そうだ、あれはお弁当の話をした時だ。
あの時も確か同じようなことを言っていた。
そして結果は、僕の想像を遥かに上回る出来だったのだ。
つまり、彼女が“人並み”という言葉を使う時は、大抵そのレベルを超えているのだ。
言葉の意味を勘違いしてるのか、それとも彼女の基準が高いだけなのか……
真実は分からなかったが、どちらかと言うと後者な気がした。
「紅葉ちゃんは、学年の中でもトップクラスの成績なんだよ〜」
「やっぱりか……」
「何か言いましたか?」
「いえ、何でもないです……」
とりあえず、紺野さんが美月に教えるなら大丈夫だろう。
その数日後、憂鬱にしていた期末考査を全てこなし、結果が返ってきた。
試験を受ける前はあんなに憂鬱なのに、終わってしまえば案外あっさりしたものだ。
僕の場合はいつも通り、中の上くらいといった成績だった。
「見てよこの点数!」
隣で美月が答案用紙をヒラヒラとさせながら見せびらかしてきた。
「九十点……!?これ美月の答案用紙なの……?」
「普通に考えてそうでしょ!?何で他の人の答案用紙を見せなくちゃいけないのよ!」
「いや、だってなんか信じられなくて」
「今回はみっちり教えてもらったから良い点数取れたの!すごいでしょ?」
「すごいのは美月じゃないんじゃないの?」
「ちょっと、ひどいなぁ……」
そこに、美月が高得点を取ることができた本当の功労者が姿を現した。
「お二人とも、お疲れ様です」
「お疲れ様」
「見てよ!紅葉ちゃんのおかげでこんな点数取れたよ!」
「これは……すごいですね!さすが美月さんです、飲み込みが早いですね」
「でしょ〜?私にかかればこんなもんよ〜!」
少し結果が出るとすぐこれだ。
何はともあれ、これでみんな赤点回避出来たのか。
これで、無事に夏休みを迎えることが出来る。
「期末テストも終わったし、夏休みを満喫できるね!何して遊ぼっか〜」
「それより記憶のことは?夏休みほど時間ある時はなかなか無いんだから、この機会に動かないとまずいんじゃない?」
「それもそうだけど、やっぱり遊びたくない?……それに、私の言ったこと忘れてないよね?」
そう言って、僕ら二人にだけ分かるように美月は視線を飛ばしてきた。
あのことか。
“僕を変える”と宣言されたあの日から、美月はひたすら僕にアプローチをかけてくる。
そんな姿を見ていると、記憶を取り戻すことより僕を変えようとすることが目的になってるんじゃないかと心配する。
僕としてはそこはどうでもいいのだが、美月には記憶を取り戻してもらわないと困る。
僕自身が行く末を見守りたいというのもあるが、それ以上に僕だけの問題ではなくなってきている。
先生や紺野さんなど、元々巻き込む予定のなかった人さえ巻き込んでしまってる状態だ。
それなのに、最初に手伝っていた僕が先頭切って手伝いをやめるわけにはいかない。
正直、紺野さんがいれば心配はいらない気がするが、例えそうだとしてもこれは僕のけじめだ。
一度やると言った以上は最後まで付き合う。
途中で投げ出すことは一片たりとも考えてなかった。
「……分かってるよ。でも程々にね」
まあ、遊んでいる時に手掛かりが見つかるかもしれない。
そう考えれば、遊ぶのも悪いことではない気がした。
何せ、どこにきっかけが転がっているのか分からないのだから……
「じゃあ、花火大会とか海行こうよ!」
「良いですね〜。私、友達とそういうの行ったことなくて、ずっと気になってたんですよ〜」
「夏休みの時しか行けないものばかりだし、たまには良いかもね」
「珍しく乗り気じゃん〜」
「だって、来年三年生でしょ?羽を伸ばしておくことも大切かなーって」
「……ちょっと、あんまり嫌なこと思い出させないでよ。必死に忘れようとしてたのに……」
「えっ……?……ごめん」
僕の突然の謝罪に、美月は困惑したように聞き返してきた。
「……どうしたの?」
「なんか思い出しちゃったのかなって」
「……ああ、私こそ思わせぶりなこと言ってごめんね。今のはなんて言うか、そんな深い意味はないよ」
「なんだよ、びっくりしたじゃないか……」
本当に焦った。
何か地雷を踏んでしまったかと思った。
……僕が焦ったのは、きっと彼女の姿が自分に重なって見えたからだろう。
『必死に忘れようとしてたのに……』
その言葉が、僕の心を代弁してくれたようだった。
「とりあえず、遊びつつ美月さんに関係ありそうなことも探っていく、それでどうですか?」
「あ……うん、それでいいと思う」
僕たち二人が変な空気になってしまったので、紺野さんが仕切ってくれた。
「遊びに行くのはともかく、問題なのは記憶のことですね……」
「……そうなんだよね」
あれから先生は何の動きもなかった。
つまり、お互いに様子見状態のままなのだ。
そろそろ動いた方がいいかもしれない、そう思い始めていた頃だった。
「先生から色々情報を聞き出せれば良いと思うんですけど、確か私たちは秘密裏に動かないといけないんですよね?」
「そうだね、出来るだけ穏便に済ませたほうがいいと思う」
僕がそう言うと、少しの間沈黙が訪れた。
そして、その沈黙を破ったのはまたしても彼女だった。
「……あの、先生を私たちの方に取り込むのはどうですか?」
「どういうこと?」
「こないだ秋山君が言った通りに、正直に事情を話すんです。そして、協力してもらった上で、月さんのお母さんに私たちの動きを報告しないようにお願いするんです」
「……先生に寝返ってもらうってこと?」
「言葉を選ばずに言うならばそういうことです」
「でも、どうやって?」
「これは、私の見解なんですけども……」
そう言うと、紺野さんは考えてたことをまとめて話してくれた。
「まず、美月さんが意思をしっかり先生に伝えます。こればかりは私たちが出て行った所で意味はないです。そして、その後私たちが美月さんのことを本気で考えてることを伝えるんです。そこまですれば、生徒の自主性を尊重するあの先生なら協力してくれるかもしれません」
「そんな、シンプルで良いの?」
「シンプルですが、効果はあると思います。それに先生の性格を考えればそれがベストだと思います」
「でも、リスクも大きいよね」
「……そうですね。この作戦は賭けです。先生が協力してくれなかった場合、美月さんのお母さんに報告され全てが終わってしまうでしょう。……最悪の場合、私たちは切り離されるかもしれません。それだけ記憶に干渉するのは危険ですから」
「……そうだね」
僕は、改めて自分がしようとしていることの重大さを突き付けられた。
「それともう一つ、一番大切なことがあります」
そう言って、紺野さんは美月の方に視線を移した。
「私たちが今からやろうとすることは、言うならば反逆です。大人がこうした方がいいと思ってくれてることを全て覆して自分の意思を突き通すと言うことです。後になって、先生やお母さんの言う通りにしておけばよかったと後悔するかもしれません。……それでも美月さんは記憶を取り戻したいですか……?」
紺野さんは、子供に話しかけるような優しい口調で問いかけていた。
出来るだけ美月を傷付けないように、という配慮だろう。
「……大丈夫。私は、覚悟してるよ」
そう言う美月の声は、少しだけ震えていた。
それを察したのか、紺野さんは念を押すように言った。
「……もし記憶を取り戻すことが怖くなったなら、それを放棄してもいいんですからね……?そうなったとしても、私たちとの思い出が無くなるわけではないですし、過去の記憶がなくてもこれからの思い出は一緒に作っていけますから」
紺野さんは言葉を選ぶように、一つ一つ丁寧に紡いでいった。
私はいつでもあなたの味方です、と言おうとしてるようだった。
「うん。ありがとう、紅葉ちゃん」
そう言う美月は、うっすらと涙を浮かべていた。
そんな様子を見かねた紺野さんは、隣に寄り添って今にも崩れ去ってしまいそうな少女を優しく抱きしめた。
……まるで、それがいつものことかのような様子だった。
二人が出会えて良かった。
他人事ながらそう思ってしまった。
それほどまでに、二人の間には暖かく優しい空気が流れていた。
しばらくして、美月が落ち着いたのを確認した紺野さんは、気を取り直した面持ちでこう宣言した。
「……それじゃあ、決定ですね。夏休み入る前に先生に話しに行きましょう。そして夏休みは思う存分楽しみましょう!」
教室には僕たち三人しかいなかったが、力強く語る彼女の姿は、まるで全校生徒に宣言するかのようだった。
前回→秘密の場所
続き→作戦決行
目次→新しい君と
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