めぐりめぐるその日

綾乃は、最初から自分を探し求めていた。

思えば、彼女には不自然な点がいくつもあった。

説明してないはずの救急箱の位置を把握していたこと。

何度もおもちゃに触れていたこと。

お風呂に入った時に全く恥じらいがなかったこと。

例を挙げればキリがない。

極め付けは、自分にしか綾乃が見えないということだ。

今までその原因を深く考えることはしなかった。

特に理由などなく、そういうものとしか思えなかったからだ。

しかし、自分にしか見えないというのはきっと必然だったのだろう。

綾乃の正体が分かり、今までの彼女の言動に納得することが出来た。

恐らく、誘拐されかけたことがあるという話は、ペットショップに連れて行かれそうになったのだろう。

彼ら動物にとって、そこは檻のようなものだ。

一度閉じ込められたら最後、誰かに買い取られるまでは二度と出られない。

最悪の場合は殺処分になってしまう。

そのことをアヤの両親は知っていたからこそ、彼女のことを逃したのだろう。

もちろん、悪いことばかりではないはずだ。

ペットショップは、自然で生きるよりは遥かに平和な環境だろう。

しかし、自由はどこにも存在しない。

どれだけの日が経とうと、彼らを縛り付ける鎖が外れることはないのだ。

そんなことになるくらいなら、という結論だったのかもしれない。

だが、アヤは結果的に自分に飼われることとなった。

ふと、水族館に行った時の話を思い出した。

どうしてあんなことを言ったのか、今ならよく分かる。

きっと自分だけではなくて、みんなに考えて欲しかったのだ。

動物と共存するということがどういうことなのか。

ペットを飼うということはどういうことなのか。

果たしてそれはお互いにとって幸せなのか、それとも不幸なのか。

綾乃の言葉一つ一つがメッセージのように思えた。

いなくなってもなお、彼女から学ぶことはたくさんあった。

でも……。

「俺は、ずっと家族だと思ってた……!」

私には家族がいない。

そう、綾乃は言った。

彼女にとって、自分は命の恩人だった。

彼女の性格を考えるに、自分たちのことを“家族”と捉えるのはおこがましいと思ったのだろう。

いや、それも正体がバレないようにするための嘘だったのかもしれない。

今となっては、それも分からなかった。

手紙の文字がやたらと滲む。

おかしいと思い目をこすると、指先がびっしょりと濡れていた。

その時になって、悠介は自分が涙を流してることに気付く。

知らず知らずの内に力が入っていたためか、手紙はクシャリと身を歪めている。

自分は、アヤを、綾乃を幸せにすることが出来たのだろうか。

手紙の中で、彼女は幸せだったと言ってくれた。

自分に出来ることは、ただそれを信じてあげることだけだ。

しわくちゃになってしまった手紙を引き出しの中にしまうと、悠介はベッドに倒れ込んだ。

目が覚めた時には朝になっていた。

「おはようござーー」

いつも通り挨拶しようとするも、悠介はすぐに言葉を飲み込んだ。

もう、綾乃はいないのだ。

彼女がいることが当たり前だった悠介にとって、その癖を抜くことは容易ではなかった。

消えてしまったことを再実感し、キュッ、と胸が締め付けられる。

「兄さん?」

突然の声に振り向くと、圭吾が扉の前で突っ立っていた。

何かに驚いたように、パチクリと瞬きを繰り返している。

「そんな顔して、どうしたの?」

「そんな顔って、なんだよ」

「今にも泣きそうな顔してる」

圭吾が鏡を指し、それに釣られて見ると、そこには生気を吸い取られてげっそりとした自分の顔が映っていた。

「こりゃ、酷いな……」

言うべきか躊躇ったのか、圭吾はほんの少し間を置いて話し始めた。

「兄さん、昨日から様子がおかしかったから。いきなり帰ってきたと思ったら部屋に籠りっきりだし。……なんか、“あの日”みたいだなって思って、心配して見に来たんだ」

「ごめんな。気を使わせちゃって」

圭吾はゆっくりと首を横に振る。

「そんなことないよ。嫌だったらいいけど、良かったら話してよ。兄さんが僕を助けてくれたように、僕も兄さんにそうしたい」

 

ーー今みたいに感謝の気持ちを伝えると、相手も自然に感謝することができるんです。

 

「綾乃さんの言葉は、本当だったんだな……」

「何か言った?」

「なんでもないよ。……分かった、話すよ」

布団から足を出してベットに腰をかける形になると、圭吾もそれに習うように隣に座った。

「一ヶ月くらい前かな、俺の前に幽霊が現れたんだ」

「やっぱり、そうだったんだ」

さも当然の如く、圭吾は呟く。

その様子に、悠介は肝を抜かれた。

「もしかして、見えてたのか?」

「僕は見えてないよ。ただ、前々から変だなって思ってた。家にいる時いつもソワソワしてたし、部屋には兄さんしかいないはずなのに、誰かと話してる声が聞こえたから。電話にしては違和感あったしね」

観念した、という意思を表示するように、悠介は両手を上げた。

それを見て、圭吾がニコニコと微笑んでいる。

こんな風に笑うの見るのは、彼が家出から戻って以来だった。

「母さんたちは何か言ってた?」

「ううん。多分二人とも気付いてないよ。そもそも上にあんまり来ないしね」

「そっか」

ボソリと呟くと、沈黙が生まれた。

やがて、続きを聞かせて、と圭吾は目配せした。

それに後押しされるように、悠介は再び口を開く。

「俺は、その人からたくさんのことを学んだんだ。圭吾とも、その人がいなかったら仲直り出来なかったと思う」

「じゃあ、兄さんの恩人だね」

「……でも、その人は昨日消えてしまったんだ。それで、ちょっと落ち込んでた」

「ちょっと、じゃないでしょ?」

「えっ?」

「今、無理してるでしょ? 僕だって、それくらい分かるよ」

「……そうかもな」

「たまにはさ、僕にも甘えてよ」

「圭吾、なんか少し変わったな。なんていうか、積極的になった」

素直な賞賛に圭吾は照れていたようで、頰をポリポリと掻いた。

「それは、兄さんが僕と向き合ってくれたからだよ。今まで、僕は逃げ続けてきた。でも、あの時、それじゃいけないって思ったんだ。自分から歩み寄らないと、相手も近付いてくれない。兄さんのおかげで、僕はそれに気付けたんだよ」

「そこまで褒められるようなことしてないよ。綾乃さんも似たようなこと言ってたけど、俺はただ目の前のことで必死なだけなんだ。後先考えずに一人で突っ走って、後悔して、その繰り返し」

「でも、僕は兄さんのそういうところに助けられたんだよ? きっと、母さんたちも何だかんだ言いながらもそういうところが好きなんだと思う」

この性格が、みんなを振り回しているんだと思っていた。

事実、そういうことはたくさんあっただろう。

アヤを飼ったことも、綾乃を受け入れたことも、彼女を店長に会わせたことも。

全て自分が勝手にしたことだ。

それでも、そんな行動が誰かのためになっていたのであれば、これほど幸せなことはない。

「ところでさ、どうしてその綾乃さんって人はいなくなっちゃったの?」

圭吾にしては踏み込んだ質問だった。

だけど、それはきっと全て吐き出させるためにしてるんだと思った。

かつて、自分が圭吾にそうしたように。

「……彼女の正体は、アヤだったんだ」

「そうだったの!?」

さすがの圭吾もそこまでは読めなかったようで、真実に驚いていた。

自分もあの手紙を読むまで分からなかったのだ、無理もない。

昨日、ひたすら綾乃が消えた理由を考え続けた結果、悠介はある一つの結論に辿り着いた。

綾乃は、“あの人”に会ったからではないと言っていた。

それに関しては間違いないだろう。

何せ、“あの人”は自分自身だったのだから。

「彼女が消えてしまった理由。……それは、俺と一緒に遊びに行ったからだ」

「……どういうこと?」

「アヤは身体が弱かっただろう? いつも家の中でグッタリしてた。きっと、本当はずっと外で遊びたかったんだと思う。アヤが死んでしまった時も、俺は彼女を置いて遊びに行っちゃったからな。……そして、綾乃さんが消えてしまった日に、俺たちは水族館に行ったんだ。本当に楽しそうにしてたよ。大人っぽい人だったけど、子供みたいにはしゃいでさ。……だから、きっとそれで……」

綾乃自身も、“本当のお願い”には気付けなかったのだろう。

だからこそ、あの時『そういうことだったんだ』などと言ったのだ。

彼女は、悠介に恩返しすることで成仏すると思い込んでいた。

何よりも、それが彼女の目的だったから。

自分の使命を果たした時はきっと困惑していただろう。

結果的に、悠介が綾乃に恩返しすることで彼女の願いは叶えられてしまった。

逆に、そうしなくても綾乃は悠介の前から姿を消すつもりだったのだ。

どちらにしても、いずれは別れる運命だったんだと、悠介は悟った。

「じゃあ、兄さんはアヤのお願いを叶えられたんだね。きっと、今度こそ未練が無くなって満足出来たから……」

「そうだと、いいな」

「兄さんは頑張ったんだよ。僕のことも、アヤのことも。だから、もう無理しなくていいんだよ」

圭吾は、悠介の手をそっと握った。

以前の自分なら、「ふざけんなっ!」とでも言って突き飛ばしていただろう。

それなのに、今は圭吾の優しさが堪らなく愛しかった。

 

「おはようございます」

「おはようー」

綾乃が消え、圭吾に励まされてから一週間が経ち、悠介は乱れていた気持ちを徐々に落ち着かせていった。

この一週間はボーッとしてるか寝てるかが多く、ただただ家に引きこもっていた。

天気があまり良くなかったこともあったが、とても外に出る気分になれなかったのだ。

あの日の出来事で何かを察した店長は、バイトを休ませてくれた。

そして、今日は久しぶりの出勤日だった。

「お休み、ありがとうございました。……それと、この間は突然すみませんでした」

「僕は大丈夫だよ。ただ、すごい怖い顔してたからびっくりしたけどね」

店長は戯けたように微笑んでみせる。

それを見て、悠介は真実を話す決心を固めた。

「……あそこまでやっておいてこんなこと言うのは申し訳ないんですけど、店長は人違いでした。俺が勘違いしちゃって、色々と振り回しちゃってすみませんでした」

「だから、僕は大丈夫だってー。……まぁ、薄々そんな気はしていたよ」

「そう、なんですか?」

「だって、仮にあの子だったら、悠介くんの前に姿を見せるのはおかしいでしょ?」

「それは、確かにそうですね……」

指摘され、自分がいかに何も見えていなかったかがよく分かった。

「あの子に会えなかったのは少し残念ではあるけど、こうして君が元気になってくれて良かったよ。お母さんも心配してたからね」

「……きっと。きっとどこかで、その人は店長のことを見てるのかもしれません」

「えっ?」

「見えなかったとしても、どこかで見守っていてくれてるかもしれないですよ。だって、店長はその人のことを大切に想っていたから。だから、向こうもそう思ってくれてるんじゃないかって。少なくとも、俺はそう信じたいです」

ふふっ、と店長は声を漏らす。

段々とそれは大きくなり、やがて休憩室中に大きく響き渡るまでに至った。

「ど、どうしたんですか?」

「いやぁ。ごめんごめん。いかにも君らしいなって思ってさ」

「俺らしい?」

「そう。君は気が強そうで一見取っ付きづらいところがあるけど、根はすごくピュアなんだよね。何かを信じて、相手を思いやって、真っ直ぐに突き進む。そういうところが悠介くんらしいなって」

分析されているような気がして、少しだけ恥ずかしい。

熱を逃がすように、咄嗟にテーブルに置いてあるメニュー本で顔を扇ぐ。

「僕も、そう信じてみようかな」

そう言い残し、店長は部屋を出ていってしまった。

その背中が見えなくなるのを確認してから、悠介は制服へと着替えた。

「何事もスタートが肝心です。休みの間に緩んだ気をしっかりと引き締めましょう。次にーー」

壇上で、校長は長々と講談をしていた。

既に船を漕いでる者、真面目に話を聞く者、退屈そうに友達と会話する者と、それに対する反応は様々だ。

それらを黙認しているのか、それとも気付いていないのか、教師陣は特に何かするわけではなかった。

長いようで短かった夏休みが終わり、ついに二学期が始まる。

この四十日間は様々なことがあった。

こんなに中身の濃い夏休みを過ごしたのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。

思い出に浸っている間に校長の話は着々と進んでいき、気付けば始業式は終わりを迎えていた。

教室に戻り席に座ると、ひんやりとした感覚がズボン越しに伝わる。

相変わらず、クラスで悠介に話しかける者は誰一人としておらず、悠介は孤立気味だった。

仮にそんな人がいるとしたら、ちょっかいを出すか、こちらを見下して優越感に浸ろうとするような輩たちだけだ。

しかし、今となってはそんなことはどうでもよかった。

優劣をつけたり、比較することに意味なんて無いのだ。

そんなことよりも、ありのままの自分を受け入れ、他人を受け入れる方がお互いにとって心地が良い。

「おやおや、如月君じゃない。君、バイト始めたんだって? ただでさえ成績良くないのに、そんなことしてたら弟くんに更に差を広げられちゃうよ?」

初めて話しかけてきたのは、何度となくいちゃもんをつけ、喧嘩をした彼だった。

もしかして、この人は自分のことが好きなんじゃないかとさえ思えた。

なぜなら、誰にも話してないのにバイトしてることを知っていたからだ。

弟くん。

それは、悠介を縛り、苦しめ続けた人物だった。

そして、彼もまた悠介に苦しめられていた。

だけど、それはもう過去の話。

この夏で二人は成長した。

だからこそ、今ならこう言える。

「圭吾は自慢の弟だからな。あいつに置いてかれないように、俺ももっと頑張るよ」

 

前回→アヤちゃん

続き→エピローグ

目次→めぐりめぐるその日まで

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