アルバイト

「お先失礼します」

「はい、お疲れ様でした。初日にしてはよく動けてたよ。これからもその調子でよろしくね!」

「が、頑張ります……」

エネルギーを感じさせる鋭い瞳。

利便性のみを追求したようなサッパリとした短髪。

周囲の人を引っ張ってくれるような大きくて明るい声。

まるでこの仕事のために鍛えたかのような、程よく引き締まった肉体。

目の前にいる男性は、悠介に疲れを微塵も感じさせなかった。

中学時代、自分も運動部で体力には自信があったのだが、彼のスタミナはその比ではない。

この人は、このお店の店長だ。

あれから色々と探した結果、ファミレスでアルバイトすることにした。

名前を聞けば誰でも知っているような、全国チェーン店のお店だ。

正直な話、どこでもよかった。

しかし、綾乃が「人と接してみることをオススメします」と、アドバイスをしてくれのだ。

そして、今日はその初出勤日だった。

店内の窓から見える景色は、すでに闇に染まっている。

夏休みということもあり、悠介は午前中にシフトを入れたいと考えていた。

しかし、人手が足りないのは夜の時間帯だったらしく、そこに入れられてしまった。

とはいえ、別にこれといった用事もないため、特に気にするようなことではなかった。

悠介が入る時間帯は同年代や大学生の人ばかりだ。

それこそ、綾乃と同じ年齢の人もいるかもしれない。

彼らを見て思ったのは、やはり彼女は遥かに大人びているということだった。

みんなと上手くやれるか悩んだものの、それは杞憂に終わった。

それどころか、ビクついていた自分に対して「水あげるよー、水分補給は大切だからね」などと言って絡んでくる人もいたくらいだ。

自分のことを誰も知らない環境というのは、非常に楽だ。

何もかもをリセットして、最初から関係を築ける。

家や学校で窮屈さを感じている悠介にとって、新しい環境は魅力的に映った。

早速、彼女が言っていたアドバイスが功を奏したのだ。

期待と不安で憂鬱になっていた初バイトは、こうして無事に終わりを迎えるのだった。

ただ、一つだけ気になったことがある。

それは、面接の時に履歴書の名前を見た瞬間、店長に妙な反応をされたことだった。

確かに多くいるような苗字ではないし、なかなか珍しいと思う。

今までも、初めて名乗る時に好奇心を宿した眼差しで見られることも良くあった。

しかし、今回はそれとは違う何かを感じた。

すぐに聞くこともできたのだが、話を遮るのもどうかと思えて、結局そのままにしていた。

キリが良いタイミングで聞こうと、心の中で静かに誓った。

 

「はぁ……」

店を出て緊張の糸が切れたのか、ドッと疲れをが押し寄せて来た。

辺りを見渡すと、仕事終わりのサラリーマンが我先にと歩いている。

行く時ならまだしも、帰る時までなぜそこまで急ぐのか疑問だ。

獲物を待っていたかのように、飲み屋がその人波に勧誘を行なっていた。

流れに乗せられて飲み屋に雪崩れ込む人。

止まることなく無視を決め込む人。

丁寧に断る人。

様々な人がいた。

対応一つにしても、その人の性格が現れる。

自分がもしその立場だったら、どうするのだろうか。

そんなことを考えていると、いつかのように後ろから肩を叩かれた。

まさか、また絡まれたのだろうか。

それとも、飲み屋の勧誘?

疑心暗鬼になりながらも後ろを振り返ると、そこには予想外の人物が立っていた。

彼女は、無言でヒラヒラと手を振っている。

「なんだ綾乃さんじゃないですか。驚かさないでくださいよ」

そう言うと、綾乃は突然紙に何か書き始めた。

そして、そのままこちらにそれを見せてきた。

「なになに? 『初バイトお疲れ様です。どうでしたか?』 ……まあ、色々ありましたけど楽しかったですよ。ってか、どうして筆談なんですか?」

再び彼女はサラサラと文字を書いていく。

それを悠介は読み上げた。

「『私のことは見えてないので、悠介くんが一人で喋ってる痛い子になってしまいますから』……ああ、なるほどそういうことですね。分かりました」

話が通じたことに満足したのか、彼女は表情を綻ばせた。

そこで、悠介はあることを思い付く。

「でも、それならいい方法がありますよ。こうするんです」

悠介はポケットから携帯電話を取り出し、それを耳に当てた。

綾乃は、鳩が豆鉄砲を食ったたような反応のまま固まっている。

その様子を見るに、どうやらこちらの意図は伝わっていないらしい。

「俺が電話してるフリをするので、綾乃さんは普通に話してください。こうすれば周りにも変に思われませんよ」

なるほど!

と声が聞こえそうな勢いで、綾乃は掌をポンッと叩いた。

「悠介くんは天才ですね。さすがです」

「そうでもないですよ。でも、こういう変な知恵は働くんですよね」

「そんな悪知恵ばかり働かせてる悠介くんには、お仕置きが必要ですね」

「それは勘弁してください……」

「冗談ですよ」

綾乃との下らないやり取りが、たまらなく心地良い。

思えば、彼女は出会ってからいつもこんな調子だ。

ふざけてるのか真面目なのか、そんな曖昧な態度ばかり取り続ける。

それでいて、大事な局面ではしっかりと助言をしてくれる。

荒んでいた自分に、こんな風に向き合ってくれる人は初めてだった。

彼女の存在は、確実に悠介の心を埋め始めていた。

「一緒に帰りましょう。そのために迎えに来たんですから」

「部屋で待っててくださいって言ったじゃないですか。家族に怪しまれたらどうするんですか?」

「ちゃんと上手くやってきたので心配いりませんよ」

そう言いながら、綾乃は手を差し出してきた。

それが意味するものを、悠介は瞬時に理解した。

「それは、ちょっと……」

「周りには見えてないので大丈夫ですよ」

「そういう問題じゃないですよ」

そう言うと、彼女は拗ねた子供のような表情をした。

こんな顔もするんだ、と思った。

そんな姿に、ついつい負けてしまう自分がいる。

これじゃ彼女の思うツボだ。

そう分かっていても、悠介は拒絶することはしなかった。

彼女の手に触れると、マシュマロのような柔らかい感触に包まれる。

撫でられることが多く、その感触は以前から知っていたが、実際に触れるとまた一味違う。

左手に携帯電話、右手に綾乃の手という状態になり、悠介の両手はすでに満席だった。

携帯電話を耳に当てながら隣に話しかけるというのはものすごくシュールな光景に思えて、ほんのりと笑みが零れ落ちた。

どっちからともなく歩き始めると、生温い空気が二人の間をすり抜けた。

食べ物の匂いや、湿気を孕んだジメリとした香りが、それに紛れている。

改めて、悠介は今日の出来事を報告した。

「バイト、なかなか楽しかったですよ。店長はめちゃくちゃ動き早いですし、周りの先輩方も良くしてくれました。初日でこんなこと言うのもなんですけど、やってみてよかったって思ってます」

「そうですか。それなら良かったです。今度お店に遊びに行きますね」

「まだ仕事に慣れてなくてかっこ悪いんで、もう少しできるようになってから来て欲しいです。……というより、お店に来るのまずくないですか? 扉とか勝手に開いたらお客さんみんなビックリしますよ」

「それもそうですね」

そう言って、綾乃は笑う。

その笑顔に、何故だか胸が締め付けられた。

その後も他愛ない話をしていると、あっという間に家に着いていた。

バイト先までは元々徒歩で十分くらいの距離だったのだが、話していると余計に短く感じた。

気付かぬ内に歩調が早くなっていたらしい。

耳に当て続けていた携帯画面を見遣ると、自分の油分で表面がテカテカになっていた。

視界がチカチカとするのを感じ空を見上げると、まるで命の灯火が消えかけているかのように街灯が光っている。

点いたり消えたりするのに比例して、携帯の画面も反射し続ける。

この画面の惨状は、きっとこの街灯のせいなのだと悠介は思い込んだ。

 

前回→ループ

続き→

目次→めぐりめぐるその日まで

コメント

タイトルとURLをコピーしました