兄と弟

如月圭吾は悠介の弟だ。

悠介とは年の差二つだが、実はそこまで弟という感じはしなかった。

どちらかというと仲の良い友達のような感じで、関係性を意識したことはほとんど無い。

真面目な性格で気弱な部分もあるが、どこか芯の強い弟だった。

幼い頃から圭吾は悠介のことが大好きで、常に行動を共にしてきた。

しかし、悠介が中学生になる頃には二人の間には深い溝が生まれてしまっていた。

それは、彼が自分の才能に目覚めたからだった。

 

「母さん、これ見て」

「どうしたの?」

「いいから見てみてよ」

圭吾から渡された紙を、母はじっくりと見ていた。

それを見る母はどこか落ち着かなくて、何かあったのかと心配する。

しかし、そんな不安は杞憂だったのか、やがて母は歓喜の声を上げた。

「本当におめでとう圭吾!」

そう言って、母は圭吾の頭を勢いよく撫で回した。

圭吾は満足そうにしていて、されるがままに頭を揺らし続けていた。

その様子に好奇心を刺激された悠介は、それに従うように素直に尋ねた。

しかし、この選択を激しく後悔することとなる。

「そんなに嬉しそうにしてどうしたの?」

「悠介もこれ見てみなさいよ。本当に圭吾はすごいわよ」

未だに熱が冷めない母は、早く受け取ってと催促するように紙をヒラヒラとなびかせた。

渡されたものは、全国模試の結果だった。

「……これ、まじかよ?」

受け取った結果を信じられくて、目の前に提示された物の真偽を問いただしていた。

「うん!」

そう言って、彼は満面な笑みを浮かべる。

そんな風に喜ぶ弟を疑えるわけもなく、これが真実なんだと認めざるを得なかった。

「どこかの誰かさんとは大違いね〜。本当に圭吾は天才ね」

母が茶化した様子で悠介をからかった。

恐らく、そこに悪意は全くなかったはずだった。

しかし、それがかえって悠介の心に傷をつけた。

心臓の表面をカリッと引っ掻かれたような、不快な感情が胸を満たしていく。

「なんだよその言い方。圭吾は確かに凄いよ、それは俺だって知ってる。だからってそんな言い方することないだろ?」

「何怒ってるのよ。冗談よ冗談」

こっちが必死になってるのがおかしかったのか、母は笑いをこらえている。

その瞬間、何かが吹っ切れた気がした。

今まで燻っていたものが爆発するかのように、感情が溢れ出す。

「どうせ俺は圭吾と違って凡人だよ。悪かったなこんな息子で!」

突然開き直ったことが気に食わなかったのか、母は顔を少しだけ歪ませた。

優秀な弟は空気を読むことにも長けていたらしく、このままではいけないと考えたのか、悠介をなだめ始めた。

「ちょっと兄さん、少し落ち着いてよ」

その声は弱々しく、焦燥や困惑といった感情が見て取れる。

そのことが余計に神経を逆撫でし、ついには言ってはいけないことすら口にしてしまった。

「圭吾は天才だから俺の気持ちなんて分からないだろ? 頭が良いとは思ってたけど、まさかここまでだとは思わなかったよ。本当に良かったな」

自分がとても嫌味なことを言っていて、弟のことを突き放していることに、言い終えてから気付いた。

 

違う。

こんなことを言うつもりじゃないんだ。

 

自己嫌悪に陥りつつも、結局はそれを口にすることはなかった。

そんな酷いことを言ったのに、彼の口からは予想外な言葉が紡がれた。

「……ごめん」

圭吾は瞳に涙を浮かべていて、今にもそれが零れ落ちそうになっていた。

そんな弟の姿にいたたまれなくなった悠介は、握られたままの紙を突き返した。

そして、逃げるようにその場を後にした。

自分の身勝手な行為を反省した。

それでも、母の自分に対する態度や、弟の才能をどうしても受け入れることが出来ない。

「なんなんだよ、くそっ……!」

 

模試の結果は、全国一位だった。

 

その後、圭吾の才能が完全に開花するまでに多くの時間は要さなかった。

元々天才肌だった彼は、あの模試を境に着々とその力を伸ばしていった。

六年生の模試でも全国一位を取り、めでたく二冠を達成した。

そして、中学に入ってからは運動にも積極的に取り組むようになった。

圭吾は、自分と同じテニス部に所属した。

ここに来るまで体を動かすことは多くなかったが、身体能力が低いわけではなかった。

むしろ高いくらいで、今までそれを垣間見ることが無かったから気付けなかっただけだと、この時悠介は気付いた。

運動面においても才能を開花させた圭吾は、一年生ながらにレギュラーを獲得し、三年生の引退試合になる大会でも大いに活躍した。

唯一弟に勝てると思っていた部分でも追い越され、この頃には兄としての威厳をすっかり失っていた。

悠介は中学三年生。

圭吾は中学一年生。

その間、事あるごとに教師や生徒から比較され、悠介の心は日に日に荒んでいった。

たった一年、されど一年。

一年という月日は、悠介の自尊心をズタズタにするには十分すぎる長さだった。

 

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続き→因縁

目次→めぐりめぐるその日まで

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