原作版 『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』感想 青ブタは道徳!

小説感想

劇場版『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』の原作版を読みました。

原作は二部に分かれていたんですね。

おかげさまで読み応えばっちりでした!

今回は劇場版と原作版の相違点や、気付き、感想をまとめていこうと思います。

新章の予告があったりDVDが発売されたりと、まだまだ発展していきそうで嬉しいですね!

 

ここからは内容を知ってる人が推奨です。

 

劇場版と原作の違い

 

麻衣さんの誕生日の話

 

これは恐らく劇場版の尺を考慮した結果と、話をスムーズに進めるためだったのだと思います。

アニメ版ですと、最終話に咲太がロケ地である金沢に出向くのですが、原作では翔子さんが居候した後にこの話がやって来るんですね。

当然、劇場版ではこの話はありませんでした。

つまり、時系列を前後にずれていました。

その理由としては初めに言った通りに、物語を展開しやすくするためだったと思います。

翔子さん関連の話ですと、咲太は様々な場所に奔走してます。

単純に作画をたくさん使うことになりますし、カット出来る部分はしたかったのではないかと思います。

実際、原作と比較すると細かい部分が少しずつカットされていましたからね。

 

二つ目に、アニメと劇場版の折り合いをつけるためではないか思います。

どちらかというと映画寄りの考えですが、麻衣さんの話をアニメで消化しておくことによって、雰囲気が少し変わります。

先にこの話を消化しておくことによって、『咲太の選択』を劇場版で重点的に描けるんですね。

これにより、劇場版の雰囲気がより張り詰めたものとなります。

というのも、この段階だとまだ咲太は自分の心臓が翔子さんに移植されてる事実を知らないからです。

思春期症候群のことを把握していても、その真相や原理は解明中の段階です。

その時に麻衣さんの誕生日の話が入ってくるんですね。

真実を知らないので、この時は麻衣さんと平和にイチャイチャします。

これがあるのとないのとでは、個人的にかなり印象が変わるなと思いました。

仮に劇場版でこのシーンも入れていたとすれば、平和から一転……みたいに大きな落差を描けたと思います。

だけど、敢えてそれを外した。

そのことに意味があるんじゃないかと思います。

劇場版でもほんわかしたシーンも多かったですが、どちらかというと前半はかなりシリアスなイメージでした。

その理由が、恐らくこの話が無かったからではないかと思います。

イチャイチャシーンを外すことによってシリアス度合いが増していました。

逆に、全てが終わった後の二人の関係性がより映えるという効果もあります。

数々の障害を乗り越えてようやく結ばれるという感じですね。

さらに言うと、これを描写しないことで翔子さんの思春期症候群に集中出来ますし、真実まで辿り着くのも早くなります。

咲太と麻衣さんではなく。

咲太と麻衣さんと翔子さんという三角関係の描きやすくするための工夫だったのだのだと思います。

その証拠というのは当てつけですが、原作では国見や双葉が一緒にいたシーンなども、咲太と麻衣さんだけになっていたりします。

だからこそ、終盤の麻衣さんが救われて日常を送るシーンや、咲太が「やっぱり牧之原さんを助けたい」と言った優しさが一層染みました。

その他細かいところはたくさんありますが、大きな違いはこれくらいでした!

 

思春期症候群について

 

咲太について

 

咲太の思春期症候群は翔子さんと同じものだったんですね。

二回映画を見たのですが、その辺がどうしても理解しきれなかったので、原作版を読んでみて良かったです。

咲太が選択を迫られた時に思春期症候群を発症したというのは、なるほどなと思いました。

翔子さんの時同様、相反する二つの感情、アンビバレンスになってしまった時に起こるというものでしたね。

翔子さんと同じというのが深いですよね。

同じ悩みを持ち、同じ思春期症候群を発症する。

そして、お互いに助け合い支え合って生きてきた。

以前も言った通り、まさしく咲太と翔子さんは『運命の人』だったのだと思います。

それに、麻衣さんと同じ境遇になってしまうというのもまた面白いですよね。

咲太は同時に麻衣さんと翔子さん、二人の境遇を経験してしまうんですよね。

まさしく最大の試練だったでしょう。

当事者になり、それらを超え、新たな経験をしたからこそ、あの結末に辿り着けたのだと思います。

 

翔子さんについて

 

翔子さんの思春期症候群についても、ようやく理解出来ました。

思春期症候群を起こしていたのは小学四年生の翔子ちゃんだったんですね。

そして、その時の翔子ちゃんこそが将来スケジュールを書いたり消したりしてる犯人でした。

更に、そのスケジュール通りの未来を歩み、分裂してしまった方の記憶も融合するのも良かったです。

全て無駄じゃない、全部今の自分を作るために大事なものだったという感じですね。

実際、咲太もそう言っていました。

過去を変えつつも、それらを否定せず受け入れる。

いえ、厳密には、過去を変えるというよりは現在に戻ったということなんでしょうね。

マイナスではなくゼロですね。

他の人にも夢という形で記憶が残っているのも良かったと思います。

まさに翔子さんの言った通り、「過去はいつもすぐそばにある」でしたね。

 

映画化について

 

以前、別の記事でもこれについて書いていたのですが、映画化して正解だったと思います。

というより、むしろそれ以外あり得ないとすら今では思います。

自分が制作者側の立場にいたら、間違いなくそうします。

というのも、この話は青ブタ史上最大規模の物語ですし、この作品のテーマの集大成となっているからです。

そして、ここで一旦シリーズは一区切りになっています。

更に大事なのは演出面ですね。

劇場になったからといって作画が大きく変化したり、主題歌が新しくついたわけではありませんでした。

だったら映画にする必要無いんじゃね?

わざわざそうする理由って何?

ってことを感じる人もいるかもしれませんが、個人的に思うのは、流れを切らずに最後まで見られることに意味があったと思います。

タイムリミットが迫り、選択に葛藤する姿を描いていますので、流れを切らないというのはとても大きいです。

そうすることでより物語に没入できますし、咲太の心情とリンクすることができます。

これが仮にもそのままテレビアニメで1話ごと放送していたら、すごくキリが悪かったと思います。

一応、話的には区切りやすいところもあるのでそこで区切れば違和感はないでしょう。

例えば咲太の心臓が翔子さんに移植されてることを知った時とか、麻衣さんが事故にあった時ですね。

それでも、ノンストップで行くからこそ意味があると思いました。

やはり、雰囲気や流れというのは大切ですからね。

そういったことを全て考慮すると、映画化というのは最適な手段だったと思います。

 

原作版を読んでの感想

 

物語の流れとして、大きな変化は特にはありませんでしたが、咲太の心情や思考がよく分かるようになっていました。

映画は三人称で、小説は咲太目線なので当然なんですけどね。

アニメだとイマイチ掴み所がない言動をしたり、本心では何を考えているのか分かりづらい部分もありました。

そういった表面的な部分だけではなく、深いところまで全て補完してくれています。

彼がなぜそういう態度を取るのかという部分も、意味が分かれば温かい気持ちになります。

ふざけてることも多いですが、私個人的には咲太はすごく人間らしいと思いました。

正しいと思われることを取るか、自分の願望を叶えるのか、最後の最後まで葛藤し、それでも進む姿はとても素晴らしかったです。

特に劇場版では描写されていなかった自分がもう幸せだということを噛みしめるシーンや、感じ方の変化が描かれていたのは良かったです。

自分の選択が世界に及ぼす影響なんて全く無い。

それでも、自分に出来ることを続けることで誰かを救えることもある。

一人一人ができる小さな積み重ねが何かを変えるかもしれない。

そんなメッセージが込められていると思いました。

 

まとめ

 

原作版を読むことで、更に理解を深めることができました。

映画を見た人はもちろん、そうじゃない人にも是非オススメしたいです。

この物語にはとても大切なことが詰め込まれてると思うからです。

道徳の教科書に載せるべき!

と本気で思っています笑

特に殺伐とした気持ちを抱いてる人や、生きるってどういうことだろうと思い悩んだ人は読んでみると良いかもしれません。

翔子さんの名言や、彼らの生き様から何か刺激を得られることでしょう。

 

最後に、私自身も小説を書いていますので、よろしければそちらも読んでみてください!

 

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